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■魔女と神性

 私たちが信奉する神々は、全ての神々の中で最も古い神々です。

 太古の神々の発祥は、厳密には不明ですが、起源は紀元前三万六千年くらいまでは明確なものとして遡れます。伝承によれば人間が神々と共に暮らし、その叡智によって導かれていた、とされる時代までです。

 その頃、口伝を中心に神や女神から与えられた知識を人々は女性を中心に継承し、それを享受してきたと言われています。

 歴史の教科書などに出てくる、紀元前3000年以上に遡る、モヘンジョ・ダロ、ハラッパー、インダス川流域等に、旧石器時代の人々が実在するものと考えて、聖なる洞窟に壁画として残した神々と同じ神々だと伝わっています。

 そしてそこに描かれた二柱の神、つまり頭に角を生やした男性神とその隣にいる全裸の女神こそが我々に「叡智」と「法」とを与えた者だと考えられています。

 そして、こうした神々を崇める私たちは、自然崇拝の信仰として、月や太陽などの背後にある神性を崇め、全ての動植物、石、山、海、川などと共存し、自然に溶け込んで生きているのです。

 


全ての神格は独立した神格である

 広くペイガニズムというものは基本的に多神教です。当然Oriental Wiccaも多神教です。 多神教という仲でも完全に書く神格をバラバラに考えるもの(これが圧倒的に種類としては多いです)とWiccaの「全ての神は1人の神であり、全ての女神は1人の女神である」という疑似一神教とでもいうような考え方と大きくは二つに分かれます。 私たちもかつてはこのWiccaと同じ考え方を取っていました。

 しかし2003年に橘がバステトにコールされ、2007年に幾柱かの日本の神性にもご縁が生じました。そうした中でどうにもこの疑似一神教的な考え方で理解することが不可能である事態に現実がシフトしていきました。よって現在では

「神格は一つの神格の色々な姿ではなく、すべての神格は独立した別個の神格である」

という立場をとっています。また、この方針は今後変更ありません。

 

 

神格の三位一体


 
 私たちは神・女神という神格を三位(3つのポジション)という概念で捉えています。
 三位とは、「創造主たる神(女神)」「後ろにいる神(女神)」「内なる神(女神)」です。

 「創造主たる神(女神)」とは、文字通り、万物を想像した神格、という意味です。このポジションの神(女神)は、世の中のありとあらゆるものを創造した神格です。逆にいえば、全てのものは「創造主たる神(女神)」によって産み出されたものであるわけですから、「祝福されていないものはない」ということを意味しています。

 同時に、この神格は「バランス」というものを司ります。鉛筆の先ほどの小さな金属の中の誰も見たことのないほどの小さな原子、その中の更に小さな中性子という物質が、ちょっと定まった軌道をはずれただけで、そのバランスの狂いは小さな金属に町を一つ一瞬で消し去るほどのエネルギーを与えてしまいます。つまり、核爆発です。また、宇宙でもしも惑星の軌道が1つでもずれてしまったら、その太陽系自体が恒星に吸い込まれるか、大宇宙に弾き飛ばされるかなどの現象を引き起こして、崩壊してしまいます。
 誰が決めたかを自然科学が解明できない、しかし、絶対的なルールに基づいたバランスによって、全ては奇跡的な均衡を保っているのです。こうしたバランスを全てを創った神格は司っている、ということなのです。

 次は「後ろにいる神(女神)」についてです。
 「振り向けばいつもそこに神がいる」とはイスラームの聖典「クルアーン」の一節ですが、これほど雄弁にして完璧に、そして簡潔に、このポジションの神格を語っている言葉はないでしょう。
 「後ろにいる神(女神)」とは、「すぐ後ろで私たちを見守ってくれている神格」に他なりません。私たちはどんなに孤独で、暗い冬の雨の夜中を歩いているような時でも、必づ、その背後には、私たちを見守ってくれる神格が存在するのです。時に、私たちが過ちを犯したとしても、その神格は全てを知った上で、なお罰を与えたりはしません。ただ、私たちが自分の過ちに気付く機会をひたすら与えるだけです(時として、その過ちに気がつかせるためのメッセージが人間からしてみれば、非常に過酷だったり、極端だったりして、罰に感じることはありますが)。

 最後は「内なる神(女神)」です。
 私たちは、「私たちの本質は神(女神)である」と信じています。
 これについては多くを語ろうとすれば膨大になり、簡潔に語ろうとすれば、上で述べたたった一言ですんでしまいます。単純なものほどその奥は深く、身近なものほど、表現の困難さを示す好例ともいえましょう。ただ、一つだけいえることは、このことは何もここで説明することの困難さだけではないでしょう。「内なる神(女神)」の存在を実感することは多くの人にとって同様の難しさを持つものだからです。

 


ORIENTALWICCAでは

 私たちは男性神の象徴としての有角神と女神の象徴としての大母神を私たちの信仰の中心に置いています。そしてこの二柱の神格をそうした上での私たちの導き手であり、父であり、母であり、もっとも身近な「道を示す者」であると考えています。
 私たちにとって、三位一体である神も女神も、私たちのはるか上に在る存在ではないのです。

 
 それでは、有角神とはどんな神なのでしょうか。
 有角神はもともと「狩猟の神」だとされています。古代の経済が非常に大きな割合で狩猟に依存していたことを考えれば、「狩猟の神」が中心となる神格として崇められていたことはむしろ当然のことでしょう。
 
 有角神は「知性」や「理性」、それに対する「力」や「激情」等の「バランス」という概念を時代とともに強調されるようになってきました。どれも、狩猟のときに大きな成果をあげるときには大切なものであり、それらのファクターの「バランス」が取れたときに最大の成果が得られたことを象徴しているのです。

 

大母神

 男性神の恋人であり、母であり、妻である豊穣の女神を「大母神(Great Mother)」と呼びます。彼女は豊穣の女神であり、全ての母親です。
 日本の土偶などでもそうですが、大母神は世界各地の古代文明などの出土品から同じモチーフの偶像が作られています。どれも共通しているのは、妊娠した大きな腹部と大きな乳房、ものによっては、デフォルメされた陰部が表現されています。そして、手足、顔などはほとんどの場合省略され、人類の最初期の女神が「豊穣」をメインの概念として持っていたことを雄弁に物語っています。

 

Triple Goddess


 多くの魔女は、少女、母親および老婆の3つの姿の女神は持っていると考えます。私たちもそう信じています。これを「女神の三相」もしくは「三重の女神」(Triple Goddess)と呼びます。

 1つ目の相は「乙女(maiden)」です。この相の象徴は上弦の月で、生命の若さ、生命の継続、自己充足、春などを象徴します。また、彼女を表現する色は白、ピンク、黄色、パステルカラーなどです。
 2つ目の相は「母(mother)」です。この相の象徴は満月で、養育、出産、豊穣、熟成、生命の誕生、夏などを象徴します。彼女を表現する色は赤、血液の色、および生命力を表す緑、肥沃さを表現する色です。
 3つ目の相は「老婆(crone)」です。この相の象徴は下弦の月で、死と再生、叡智、イニシエーション、神秘、冬、夜、閉経などを象徴します。彼女の色は黒く暗い紫あるいは灰色です。

※神についても同様の三相があることはいうまでもありません。詳細についてはここでは割愛しますが、女神の場合と同様に考えていただければ良いと思います。


Oriental Wiccaの独自性

一般的なWicca、Witchcraftと違う部分として、Oriental Wiccaの場合はエジプトの神格と北東北を中心とした日本の神格にも縁が深くなっています。そういう意味では若干の違いが出ていますが、それはそれだけ多くの神格とのご縁が深まっているということで祝祭を増やしたり、独自性を高めたりすることでより豊かな日本的なWitchcraftへと発展させています。

 

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