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■橘青洲略歴

2月15日生。東京都出身。
1982(昭和57)年 在学中にフリーライターとして執筆活動開始。
1983(昭和58)年 個人事務所設立(1995年(平成7年)法人化)
1985(昭和60)年 司祭資格を授与され、1987(昭和62年)年 司祭長資格を授与される。
1991(平成3)年 自分の受け継いだ伝統を捨てることなくOrientalWicca創立。
2006(平成18)年 一切の世俗的役職から身を引き、フリーターになる。

現在に至る。

 

■宗教者としての歩み

 幼少時の度重なる大病とそれに伴う死の宣告を、たまたま何度も耳にしてしまう。そして、小児科病棟で昨日まで元気だった入院患者の子供が翌日あっけなく亡くなっていく事を日常的に見ていく中で「自分もいつかはあのようにある日突然死んでしまうのだろう」と、実感する。そうしたことを繰り返していくうちに、小学校に上がる前には、「自分の死に対する恐怖」はいつしかまったくなくなっていた。

 また、物心がついた頃より「生きているもの以外のもの」が見えるのが普通であり、4歳くらいの頃、他の人には見えていないものが見えていたのだということを知り大きな衝撃を受ける。もっとも、このような能力が生まれつきあったことから自分の死に対する恐怖心を乗り越えることを容易にしたというのも結果的にはあるだろう。

 1983(昭和58)年、横浜で偶然知り合った英国人の老婦人より精神世界についての教えを受ける。この頃は、仏教(主に密教)等の思想や修行などに興味の大半を注いでいた時期であったので、こういう考え方もある、という程度の認識しかもっていなかった。しかし、その教えが進むうちに、これこそが自分が探し求めていた道である、という自覚を持ち、学業の傍らながら、その教えを学ぶことに精進する。

 断続的ではありながらも2年ほどの教えを受け、教えを習得したことを認められる。そして、最後の教えを受けた日を境にその老婦人は橘の前から姿を消してしまった。最後の日の翌日、いつものように老婦人宅を訪ねたとき、老婦人の住んでいた家が空家になっていたのを見てしばらく呆然と立ちすくんでいたことは今でも昨日のように思い出せるという。

 その後2年ほど、教えを実践する機会もないまま日常の生活や学究生活に埋没していたが、原子物理学と量子化学を学んでいる中で、万物の基本構造は同じなのではないか、という視野を得、自分と宇宙の一体感を実感する。その興奮の中眠れない夜が2日続いた翌日、かつて教えを与えた老婦人と運命的、かつ偶然の再会をする。(後で、老婦人が橘に言った話によれば、橘の「準備が出来るのを待っていた」ということであった)

 そして、教えはその日から1年間に渡って再開され、最後には一子相伝という奥義を伝授される。これによって橘は司祭長を名乗ることを許され、自分の道をこれをもとに切り開く運命を示される。そして、教えを授けた老婦人は前のときと同じように姿を消してしまい、その後現在にいたるまで会うことは無い。

 1999(平成11)年に一時的に失明し、翌2000年(平成12年)原因不明の足の障害が与えられ、これは何かのしるしであると悟る。

 2001(平成13)年7月に神と女神より強制的な修行を与えられ、現実的困難に日々格闘しながらの厳しい断食修行(体重が1ヶ月で半分になるほどであった)をする。ついに水も受け付けなくなって死を覚悟した瞬間に修行の終わりを告げられ、これを機に宗教者として、自分の生活や人生の全てを捧げる誓いをし、それまでの生活との決別を誓う。

 その後自分が与えられた神秘宗教の教えと公教の必要性のギャップに悩みながら、生活の中心を困った人の支援に捧げる日々を送る。

 2003(平成15)年その答えを神と女神より啓示として授けられ、人間の内なる神性を顕現させることによる絶対幸福を教えの中心とし、信仰をもたない人にもわかりやすく教え諭すなどの奉仕活動を開始。

 2006(平成18)年11月、唐突に神と女神による試練を与えられ、強制的な断食修行に入る。その中で現実に対処する事柄の全てを弟子に譲り、自分は神と女神の教えを伝え、具現化することだけが役目であることを悟り、全ての社会的役職などを名実共に降り、宗教者として以外の全ての社会的役割を捨て、約束の地への巡礼を始めた。

 2007(平成19)年6月、自らの行動の方向性を決心し、Oriental Wiccaのサイトのリニューアル、関連2サイトの新設などを手始めに、新たな対外的な宗教的活動をはじめる。

 その後インターフェロン治療の失敗と副作用による鬱状態などに苦しむ中、東日本大震災に仙台で被災。自宅も倒壊し、仮住まいの中で2回目のインターフェロン治療で肝炎を寛解。数年後遺症に苦しむ。

 縁あって山形に移転し、家族の不幸などに見舞われつつも活動を少しづつ再開し現在に至る。

 

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